叱られることは財産

思い出すことは不思議と「ほめられたこと」より「叱られたこと」

商社マンとしての生活は通算34年余り。定年後、人材業界に転身し既に22年経過。まさに「光陰矢の如し」の感ひとしおです。

人生の最終コーナーに差しかかりつつある昨今、往時を想起すると「叱られたこと」、「注意されたこと」のみが記憶に残っており「ほめられたこと」をほとんど覚えていないのは不思議です。ときどき、募っての仲間達と懇談の際も「誰々に叱られた」話についつい花が咲いてしまいます。

叱ることの難しさ

私自身も新入社員の頃はよく叱られました。「野毛山で烏が鳴かない日はあっても○○が叱られない日は無い」などと社内で冷やかされました。「会社とは叱られて給料をもらうところなり」と自戒したものです。

しかしながら若い頃に頂戴した小言や忠告の数々が、その後の商社マン生活において貴重な財産となったことはいうまでもありません。逆の見方をするならば、叱る側だった方々のご苦労も大変だったに違いありません。出来の悪い新人をいかにして一日も早く、一人前の戦力に育て上げるかを念頭においての的確な指導が眼目ですので、只々むやみやたらに罵倒するだけでは駄目。それなりに筋の通った叱り方をするべく苦労してくれたはずです。

後日、やがて私自身が部下を持つ立場になり、叱り方の難しさを実感させられました。部下の意欲を削がず反省させ、さらに奮起させること。各人各様、叱る相手によっては表現方法や声音なども適宜使い分けること。このような配慮は商社マン生活を通じ自ずと体得したもので、仕事(商売)のうえでも大いに役に立ちました。

ところで最近は部下の叱り方も何かと難しくなっているようで、以前と比べて商社の中間管理職の苦労が偲ばれます。

1958年三井物産入社:星野 仁一