商社勤務の原点となったヨーロッパへの旅

商社への志望動機は三井物産ミラノ支店長

もうかれこれ45年ほど前になりますが、大学3年生だった私はどうしても海外に行きたくて、友達と2人で夏休みを利用して2カ月間ヨーロッパを旅行しました。日本とヨーロッパ間の往復の交通旅費は某大学が主催した夏季ヨーロッパ研修ツアーに便乗して節約し、現地での費用は宿泊費・食費入れて1日10ドル(当時の為替は1ドル=360円)と決めました。当時はまだソビエト連邦があって共産圏である東ヨーロッパには行けなかったのですが、西ヨーロッパの国はほとんど回りました。

ちょうどその頃、私の母方の伯父が三井物産のミラノ支店長をしていたので、ミラノ市の伯父の家に2週間ほど居候をさせてもらったのですが、伯父一家が大きなフラットに住み、シトロエンを乗り回し、流暢なイタリア語で話しているのを目の前で見て、やはり海外で生活して仕事をしたいという思いがますます強くなりました。そのためには商社が1番良い、商社に入ろうとそのときに決心しました。

当時、つまり1970年前後の商社の順位は三菱商事、三井物産、伊藤忠商事、丸紅で、5番目を住友商事と日商岩井(現在の双日)が年替わりで競っていました。どこを受けようかといろいろ考えた結論が「いくならやはり安定している財閥系、物産は伯父がいるので違うところ、業界1位の三菱商事は規模が大き過ぎる」という至極単純な理由で住友商事に決めました。その後、なんとか入社試験に合格し1971年4月に住友商事に入社しました。

世界観を変えた中近東への海外駐在とヨーロッパへの海外出張

2週間の入社後研修の後、配属されたのは物資本部という部署でした。セメント、木材、紙パルプ、タイヤ、ガラスなど、実生活に近い商品を扱う本部で、鉄鋼本部や機電本部などに比べどちらかというと地味な本部でした。配属が決まったときはちょっとがっかりというのが正直な気持ちだったのですが、今から振り返るといろいろな商品知識や業界知識を習得できたことが自分にとって大きな糧になっています。

約35年間の物資本部勤務の間、セメントの中近東向け輸出、製材品の東欧からの輸入、アメリカ・カナダからの住宅の輸入などの仕事をし、海外駐在も2回しました。最初は仕事上やはり中近東ということでクウエートに約4年半、その後も中近東経験者ということでイランに約2年半おりました。1度は先進国のアメリカかヨーロッパで生活したいなという夢と希望は残念ながら実現しませんでしたが、中近東でもビジネスの中であるいは私生活の中で様々な国の人たちと知り合うことができて、またその知り合いを通じていろいろな国の文化や習慣を知ることが出来て、それが自分の中の世界観を大きく成長させてくれたと思っています。

海外出張も数えきれないほど行きました。特にヨーロッパでは、ホテルで朝起きて朝食をとりにコーヒーショップにおりていったときに漂ってくるクロワッサンとコーヒーのあの香しい匂い、この匂いは今でも忘れません。これは商社マンであれば、誰しも同じ思い出を持っていると思います。
商社で仕事をしているとパソコンの画面の向こうが世界中とつながっているということをいつも実感できるのです。

1971年 住友商事入社:栖原 敬