伊藤忠で受け継がれる「三方よしの精神」

総合商社は量から質へ

翌年に大学卒業を控えた私が就職活動に本腰を入れ始めた1980年の初夏、前年の第2次オイルショックにより世界は同時不況に見舞われ、日本経済も景気後退の只中にありました。資源小国日本では原油価格高騰により諸物価が上昇し、国民と企業を取り巻く環境は総じて困難で、総合商社についてもいわゆる“商社不要論”が出るなど厳しい状況でした。日本経済全体がコンパクトになり省エネルギーが叫ばれ、総合商社も量から質の経営にシフトするなど大きな変化がありました。

その頃、学生の就職希望企業ランキングでは依然として商社が上位に名を連ね、その人気が陰ることはありませんでした。当時は海外進出する企業がまだまだ少なく、かねてから海外でも仕事をしたいと考えていた私は総合商社に的を絞りました。大阪で生まれ育った私は、総合商社で最古の創業を誇り非財閥系で自由闊達な社風で知られた関西発祥の伊藤忠商事を第1志望とし、会社訪問解禁日の10月1日に伊藤忠商事大阪本社を訪問しました。数度の面接と試験を経て内定となり、翌1981年4月1日竣工間もない伊藤忠商事東京本社での入社式に臨みました。

入社式に続いて、鹿島神宮参拝に始まる鹿島での合宿研修と東京本社での集合研修があり、その中で運命の分かれ目となる配属先が発表されました。私は第1志望として上申をしていた繊維貿易本部(大阪)配属が希望通り決定し、4月中旬には今は無き伊藤忠商事花屋敷寮(宝塚市)に入寮し、大阪本社での勤務を開始しました。

時代を超えて受け継がれる「三方よしの精神」

伊藤忠商事は、近江商人であった初代伊藤忠兵衛さんが麻布(まふ)の持ち下りを始めた1858年の創業以来、国内外の繊維取引においては常に不動の地位を保っており、出社初日に繊維貿易本部の活気と熱気に驚いたことを覚えています。全員が機敏にそして驕ること無く取引先の企業規模にかかわらず常に相手のことを重んじて誠実にトレード(商い、商取引)を進めていたのです。商いにおいて初代伊藤忠兵衛さんが常に重んじた、いわゆる「三方よしの精神」(売り手よし、買い手よし、世間よし)が時代を超えてなお大事にされていることを体感するのに時間はかかりませんでした。

私見ながら、総合商社ほど、時代の変遷とともにその業務内容が変容する業態は他に無いでしょう。現在ではトレードに対して事業投資の比率が相当高くなっていますが、事業投資を含むいかなる局面においてもトレード(商い、商取引)の原点であった「三方よしの精神」が、今日まで脈々と受け継がれていることは伊藤忠商事の大きな強みであり何にも代え難い貴重な財産と言えるでしょう。

1981年伊藤忠商事入社 繊維部門出身:井川 哲宏