34年あまりを過ごした「商社マン」

商社勤務を通じて体得した数々のもの

私は今年の5月で満80歳になりました。人生航路の最終港へと近づいている日々を実感する昨今です。80年間の人生のうち34年あまりを「商社マン」として過ごしました。「商社マン」稼業から足を洗い、すでに23年の歳月が経過した現在も、いささかなりとも人様のお役に立てる立場にあることは誠に光栄です。これもひとえに商社勤務を通じ体得した数々の「知識」や「経験」によるところが非常に大きいと自覚します。

大学を卒業して商社の新入社員となった当初は、もちろん何も分からず、上司や先輩の厳しい指導に右往左往するばかりの明け暮れでした。他社のことは存じませんが、私が入社した会社では4月から約半年間、月曜から土曜(当時は土曜日も夕方まで勤務)の朝9時から12時まで本店(新橋)大会議室に新入社員全員(約100名)が集められ「基礎教育研修」を受講させられました。研修内容は、会社規則・商売常識・対人折衝要領・和英商業文・海外マナー・そろばんなどなど、多岐にわたり講師は各部門の幹部でした。横浜支店配属だった私達3人は研修後、昼食もそこそこに新橋から横須賀線で至急横浜へ。午後からは支店での仕事が待っていました。

振りかえってみると、当時は会社にも余裕があったのか、ずいぶんと悠長な社員教育をしてくれたものです。今日ではとても考えられません。学校を卒業し会社に就職したばかりなのに、再び学校で勉強させられているような気分でした。ただし、授業料は払わずに会社からは「給料」を頂戴するわけですので結構なご身分です。

学生時代とは異なる「カンニング」

実務面では一応の「基礎知識」を習得すると過分とも思われる重責を任せられ緊張したものでした。上司からは度々「仕事は習うより盗め」と諭され、学校では厳禁だったはずの「カンニング」が職場では奨励される本当の意味をやがて理解しました。横浜支店での仕事は「輸出入通関業務」で、締切り時間に追いかけられる緊張の連続の港湾荷役現場での体験は「商社マン」にとって貴重な基礎知識となりました。6年あまりの横浜勤務を経た後、念願の本店での営業部門に転じ本格的な「商売」と取り組むことになります。

※本記事は匿名とさせていただきます。