憧れの先にあるもの

憧れから現実へ

「商社」に就職したからには、誰しも商品の売買に直接携わりたいものです。「商売」を我々の会社(当社)では「商内」(あきない)と称しました。

新入社員達は教育配属された間接部署(総務・会計・通信・運輸各部)からできるだけ早く売買部門への配転を念願しました。かく言う私自身も6年におよぶ横浜支店勤務から一日も早く本店売買部門へ転出するべく腐心した結果、偶然縁があり、本店機械部車両課への移籍がかないました。当時、機械商内は「花形ビジネス」であり、同期入社の仲間達から羨ましがられたものでした。

くしくも満28歳の誕生日当日に意気揚々と新部署に着任、大歓迎されたところまでは良かったのですが、結論から言って私の車両課移籍は大失敗。2年足らずで人事部門へ再配転となる羽目になりました。最大の原因は私自身の実力不足です。特に貿易実務に必須の「英語力」が実務レベルに達しなかったことが響きました。車両輸出の最盛期、毎日大量の英文電信が海外各地から殺到します。担当者達はそれぞれ電報をわしづかみにして関連メーカーに直行し、価格・仕様・納期などの諸条件をネゴのうえ、その日のうちに海外宛てに返電します。もちろん、すべて英文です。

自らとった行動は

今になって考えてみますと、この種の電信のやり取りにはある種の定型のごときスタイルがあり、慣れてしまえばさほど難しい仕事ではないのです。ところが、元来「英語」が不得意だった私には、先輩や同僚達の素早い事務処理がまさに「神業」のように思え、得意だったはずの「カンニング」も全く通用せず、すっかり自信を喪失してしまいました。当然、私に対するメーカー筋や、上司・同僚からの評判も芳しくなくなり、毎日の通勤さえも苦痛になるありさまでした。

当時、当社には「自己申告制度」と称する人事システムがありました。現在の所属部署から他部署に移籍したい希望を「自己申告表」に記載、申告する方式です。精神的に落ち込んでいた私は思いあまった結果、車両課から人事部への配転を希望する旨を申告表に記載し上司に提出してしまいました。その結末と、その後の私の人生はどうなったでしょうか。

※本記事は匿名とさせていただきます。